5月12日ノー!ハプサ控訴審第4回口頭弁論報告

ノー!ハプサ(NO!合祀)控訴審第4回口頭弁論報告(樋口雄一証人)

遺族でもある樋口証人

 5月12日、東京高裁で、前高麗博物館館長で歴史研究者の樋口雄一氏を
証人とした控訴審の口頭弁論が行われた。
コロナ下で韓国人証人の来日が困難な中で、まずは、日本人証人として
朝鮮史・地域史の研究家である樋口さんが証人席に座った。
樋口さんの経歴紹介で、まず衝撃を受けた。グングン裁判で何度か
お会いしていたにもかかわらず、知らなかった。
本土で教職を得なかった父は満州・奉天で教員となった。しかし、
すぐに日本の敗戦、ソ連軍の戦車に爆弾を持って体当たり
(戦車の下にもぐりこみ自爆)し亡くなった。その時すでに関東軍は
奉天を撤退していた。戦後日本で同僚に聞いた話という。父母とともに
キリスト者であった樋口さんの忘れることのできない衝撃であったことは
想像に難くない。

神社・日本軍協力者は憎悪の対象

 証言は、本人の研究姿勢をそのまま映し出し、資料に基づき、実証し、
正確この上ないものであった。樋口さんは、書籍や論文を出すとともに、
何冊にもなる資料集をだしている。幾度も足を運び、当時の新聞や資料に
目を通し、また。朝鮮史研究会との出会いを通して得た貴重なものでもある。
証言では、神社がいかに朝鮮人の憎悪の対象であったかの一例を明らかにした。
1945年8月16日、日本の敗戦時にほとんどの神社が破壊・燃やされた。
しかし、その一方で銀行や総督府など神社以外の建物はほとんど
破壊されなかったという。神社がいかに憎悪の対象であったかが見て取れるという。
また、おもしろいことに、当時、多くの朝鮮人が短波放送を聞いており、
ポスダム宣言・日本の敗戦をすぐ知っていたという。16日には神社破壊などの
行動を起こすことができたのであろう。
 また、次の報告も貴重な証言であった。日本軍協力者がいかに戦後、
忌み嫌われていたかを明かにした。訪韓ができるようになってから、有名な
日本軍協力者をたずねて大田に行った。タクシーに乗ったところ、運転手から
まだ日本から来るのかと嫌味の雰囲気で語られ、樋口さんは訪ねるのを
やめたという。運転手の話では、戦後は、日帝協力者として大々的にメディアで
もとり上げられ、大変な状況であったという。まさに「犯罪者」として
扱われていたという。

人間を「神」にする靖国は受け入れられない

 また、反対に、豊臣秀吉の朝鮮侵略を撃退した李舜臣や、伊藤博文を射殺した
安重根は、銅像や記念館が作られ、多くの参観者を集めている。
日本のように、勝手に人間を「神」として祀るような習慣は皆無なのである。
最後に、樋口さんは、「神社は憎悪の対象。日本に評価もされていることを
最も嫌う」という。また、植民地支配で物理的な支配はできた。しかし、
社会的・精神的な面での支配はできていなかったという。逃亡兵も多かったという。
ある部隊では、朝鮮人兵209名のうち44名が逃亡した。実に21%である。
こんな状況を「打開」するために、天皇家まで動員し、の「皇恩」としての
「皇后の歌と菓子の下賜」(原告準備書面5)も行われたが、「農民の誰が
歌をわかるのか」と一蹴した。
 次回は、韓国からの証人については保留としながら、9月9日14時からとなった。
多くの傍聴が必要だ。(御園生)







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